2023-03-29
野原の診療所
さきほどザッザーと吹いた風は、もうむこうの尾根をひといきにかけのぼっていきます。
金蔵さんは、肩の鉄砲を背負いなおしながら、ふり返って清吉さんにききました。
「まだ痛むのかい。」
「ううむ。」
左手でほっぺたをおさえ、眼をウサギよりももっと真っ赤にした清吉さんは、口を開くことさえかなわないというふうに返事をしました。
実は、鉄砲うちの上手な金蔵さんにさそわれて、清吉さんは初めて猟にきたのですが、まだけものの姿も見ないうちに、古い虫歯が痛みだしたのです。
「けものを射ち殺そうなどと思った罰があたったのだよねえ。」
清吉さんが顔をクショクショさせていうと、金蔵さんは半分ふてて首をふりました。
「そんなことをいったら、わたしはどうなるのだね。もう長いこと猟をしているのだよ。わたしの方こそ罰があたるはずじゃあないか。考えすぎだよ。」
それからしばらくは、二人ともお互いに自分でいったことに悪い気持がして、だまったまま歩きつづけました。
やがて、森の木々がまばらになり、ススキ原の青い波が陽の光をはねかえしながら、目の前におしよせてきました。
「こういう葉っぱは、よく手を切るんだ。気をつけなくちゃあね。」
ぶつぶつとつぶやきながら、ススキの海を先になって泳いでいた金蔵さんが、とつぜん「あっ!」と声をあげました。
「やあ、よかった。こんな山奥に診療所があるなんて。ほらごらんよ、うまいことに歯科の看板も出ているぜ。」
肩の鉄砲をいまいちどかつぎなおし、額の汗をひとぬぐいすると、清吉さんの手をぐいと引っぱってズンズン急ぎだしました。
小さな農家を改造しただけの、そまつな診療所のなかへ、金蔵さんは先に立ってドシドシ入っていくと、受付の前に立ちました。窓ごしに、看護士さんの白い服が動いて見えます。
「ごめんなさい。実は、つれの清吉さんの虫歯が痛みますもので、どうぞ見てやってください。」
なかから、女の人の声が答えました。
「そこにかけて、お待ちください。順番がきましたら、呼びますので。」
二人はだれもいない待合室のイスに腰をおろしました。金蔵さんは、一つの長いすをまるでひとりじめするように、長々と横になると、大きなあくびを一つして、うとうとしはじめました。
『やっぱり、ぼくは罰があたったんだ』と思いながら、清吉さんが歯の痛いのこらえていると、やがて「どうぞ、お入りください。」と声がしました。
「あっ!」
診察室に足をふみいれて、清吉さんは思わず息をのみました。なんと不思議な光景でしょう。いそがしくたちはたらく看護士さんも、いえそれよりも、こちらを向いてイスにすわっているお医者さんも、ほんとうにキツネなのです。
歯の痛みなどすっかりわすれて、清吉さんが口をホワンとあけていると、先生のキツネが近よってきて、その口のなかをうかがいはじめました。
「どれどれ。あーんこの歯がおこっているのだね。ふーむ。
ところで、山には猟においでのごようすですが、どうです。獲物はありましたかな。」
そうたずねられて、清吉さんはどう返事したらよいものかわからず、頭のなかが真っ赤になったり、黄色になったりしました。でも、なんとかおちついて、正直にいいました。
「いいえ。山に入ってじきに虫歯が痛みだしたものですから、とても猟どころではありませんでした。」
キツネの先生は何度もうなづいて、「それはよかった。」といいました。それからあわてて、「いやそれはそれは、あいにくでしたな。」といいなおし、ヒゲをなんべんか指でなでました。
ひとが、歯が痛くて困っているというのに、よかったとはどういうつもりなのかしらと、清吉さんはちょっぴり腹だたしく思いました。
「カワセミさんがすぐにおわりますから、そちらの診察イスにかけていてください。」
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